2013年6月18日火曜日

維新後の西郷頼母

戊辰戦争の最中、会津藩家老西郷頼母は妻子を含めた一族21人の自害という悲劇を迎えます。二男五女いた子供のうち、悲劇を免れたのは長男のみでした。 西郷頼母は維新後には赦免され宮司として第二の人生を歩むのですが、明治十二年に、せっかく残った長男には先立たれてしまいます。長男に先立たれた頼母は、甥っ子を養子として迎えます。

この養子として迎え入れられた少年が、後の講道館四天王の一人、姿三四郎のモデルといわれる西郷四郎その人でありました。 四郎は西郷頼母に柔術の手ほどきを受けていたそうです。頼母には会津に伝わる柔術の伝承者という顔もあったようですね。

Wikipedia 西郷頼母
Wikipedia 西郷四郎

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