2013年7月11日木曜日

「真田幸村」の最期

今日のヒストリアは感動巨編になっていなくて落ち着いて見られました。速射砲を落とさなければ……。幸村の最期は定説を踏まえての描かれ方でしたね。

幸村の最期に関しては今年の2月にこんなニュースが

 1615年の大坂夏の陣で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、
越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県立図書館保管)から見つかった。

 同家の家臣と戦って討ち取られたと記されており、戦わずして首を差し出したとの定説を否定する新説だ。

 幸村は、大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫って家康を窮地に追い込み、
「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた。
覚書は、徳川方で参戦した、のちの福井藩主・松平忠昌の戦功を記しており、
福井市立郷土歴史博物館が昨夏、文献調査で発見した。

 幸村の最期は「もう戦う気はない。手柄にせよ」と、のちの福井藩士、
西尾仁左衛門に首を差し出したとする逸話が知られており、
徳川幕府の史料にも残る。

 だが、覚書では、仁左衛門が、相手を幸村と知らないまま槍(やり)で戦い、討ち取ったと記述。
後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130225-00000041-yom-soci

少々怪しい話ですが、こんな話もあったということで保存しておきます。